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トンボサミットとは
過去の大会一覧
アンケート調査結果について
関連団体の紹介

トンボサミットとは

「全国トンボ市民サミット」これは1990年に神奈川県横浜市において開催した「トンボと水辺環境等について情報交換会・交流会」が第1回大会となり、翌年東京都荒川区第2回荒川大会へ引き継がれ、そして今や30回大会を目前にすることが出来ました。
継続にはそれぞれ数々の苦難も有りましたが、途切れずに開催していただいております。
その開催地でのテーマ・取り組みの方向は違います。トンボ種の保護運動・トンボや水辺環境の保護であったり、ビオトープ作りであったり、トンボを通しての教育、自然環境とまちづくりであったり、テーマは様々です。また各地の運動の披露であったり、運動への助言の場になったり、正に情報交換・知恵と専門家意見の報告であったりと多彩な大会を開いていただきました。
業界・団体等の各県(各地)持ち回りなどの「大会のための大会開催」とは違い、また消化のための全国大会ではないのです。その開催地の市民・各実行委員会が主体で、それぞれの市民の運動活動を主体・主題としていただいています。
日本人には馴染みで、秋には当たり前に周りに飛んでいた「赤とんぼ」まで全国的に激減していることが、市民に知らされていません。また啓蒙・警告を発して貰える機関も見当たりません。この「全国トンボ市民サミット」開催がその役割を担ったり、激減に歯止めがかかり、赤とんぼが当たり前に私たちの周りに居てくれる環境を取り戻すことが出来ればと願うものです。
またトンボのため・水辺環境・環境教育等への先進事業となり、生物多様性と自然と共生する持続可能なまち・国づくりへ一筋の歩みになってくれたらと期待して、全国での開催を推進させるものです。
全国トンボ市民サミット全国実行委員会 代表幹事 今村 信大

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過去の大会一覧

全国トンボ市民サミットの開催経緯です。
第20回横浜大会(2009年)開催にあたって、トンボサミットを開催を開催された方々の近況を知りたいということで、アンケートを行いました。アンケートの結果はこちらです

第1回 1990年 神奈川県 横浜大会(6/3)「カムバック・トンボ~生きもの・人間環境の保全と再生をめざして」
第2回 1991年 東京都 荒川区大会
第3回 1992年 埼玉県 寄居町大会(3/22)
第4回 1993年 静岡県磐田市 桶ヶ谷沼(5/15~16)「桶ケ谷沼にはなぜトンボが多い」
第5回 1994年 神奈川県 横浜市大会(8/27~28)「トンボ釣り 今日はどこまで行ったやら・・・」
第6回 1995年 愛知県 名古屋市大会 八丁池(9/9~10)「トンボといっしょに住めるまちづくり」
第7回 1996年 佐賀県 佐賀市大会(8/24~25)「トンボが飛び交う快適なまちへ!」
第8回 1997年 新潟県 紫雲寺町大会(8/23~24)「よみがえれ あきつ州」
第9回 1998年 兵庫県 神戸市大会(8/22~23)「トンボと風になろう」
第10回 1999年 高知県 中村市大会(7/30~8/1)「人・まち・トンボ」
第11回 2000年 大阪府 貝塚市大会(8/5~6)「青いアカトンボ ナニワトンボにあえるかな」
第12回 2001年 千葉県 市川市大会(8/5~6)「都市に自然を呼び戻す」
第13回 2002年 福井県 敦賀市大会 中池見湿地(8/24~25)「身近な自然 再発見」
第14回 2003年 大分県 中津市大会 野依新池(5/24~25)「遊ぼう・学ぼう・自然(いのち)から
第15回 2004年 茨城県 笠間市大会 ふじみ湖(6/12~13)「里山に 広がれ人の和 トンボの輪」
第16回 2005年 静岡県 磐田市合併記念 桶ヶ谷沼大会(4/29)「新市民はべッコウトンボを守ります」
第17回 2006年 山形県鶴岡市 庄内大会(8/26~27)「アカトンボの里をめざして~アカトンボと水辺の環境~」
第18回 2007年 東京都江東区 赤とんぼ大会(5/12~13「アカトンボ大会2007」
第19回 2008年 兵庫県豊岡市 城崎温泉大会(6/28~29)「自然を守り人と生き物の共生をめざそう」
第20回 2009年 神奈川県 横浜市大会(7/25~26)「いいじやんまち 田んぼ・いいじやんまちトンボ」
第21回 2010年 埼玉県 寄居町大会(9/4~5)「よみがえれ!赤とんぼ よみがえれ!昆虫少年」
第22回 2011年 鹿児島県薩摩川内市 藺牟田池(5/14~15)「残そうベッコウトンボの里」
第23回 2012年 静岡県磐田市 桶ヶ谷大会(4/28~29)「トンボ!種の保全・保護への挑戦」
第24回 2013年 長野県 駒ヶ根市大会(6/29~30)「残そうハッチョウトンボの里」
第25回 2014年 三重県菰野町 御在所岳大会(7/26~27)「アキアカネと歩んだ御在所岳」
第26回 2015年 兵庫県 たつの市大会(7/19~20)
第27回 2016年 和歌山県 和歌山大会(10/1~2)
第28回 2017年 宮城県名取市(7/29~30)
(今後の予定)
第29回 2018年 茨城県 涸沼大会(6/9~10)「ヒヌマイトトンボ発見地からの提言」
第30回 2019年 神奈川県 横浜市大会(9/7~8 予定)「トンボを通して環境の未来を子どもたちと創造しよう!」

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アンケート調査結果について

(1)全国トンボ市民サミット 各大会開催地から(アンケート)
*今回のアンケートは、「全国トンボ市民サミット」の準備を始めるに当たって、今まで大会を開催されてきた方々の近況を知りたいということでした。
*ご回答はそのまま掲載しました。
*トンボ市民サミットは「実行委員会」形式で、地域の関係団体等がいっしょに組織し、開催されてきた大会がほとんどです。アンケートは、現在も引き続き活動を続けている個人または団体に、可能な範囲でそれぞれのお立場でご回答をいただきました。
いただいたアンケートを拝見して、皆さんいろんな事情を抱えながら頑張っておられる様子がわかり、私たちもしっかりしなければと気合が入りました。
いただいたものはそのまま掲載させていただきました。それぞれの地域の事情や抱えている悩み、これからの活動のヒントなどもこのトンボサミットに参加くださった皆さんと共有できたらと思ったからです。
(横浜にとんぼを育てる会)

回答いただいた大会

第3回(1992年)寄居
第4回(1993年)・第16回(2005年)磐田市 桶ケ谷沼
第6回(1995年)名古屋
第7回(1996年)佐賀
第8回(1997年)新潟 紫雲寺
第9回 (1998年)神戸
第10回(1999年)中村
第11回(2000年)貝塚
第12回(2001年)市川
第13回(2002年)敦賀
第14回(2003年)中津
第15回(2004年)笠間 ふじみ湖
第16回(2005年)磐田市 桶ケ谷沼
第17回(2006年)鶴岡
第19回(2008年)豊岡

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第3回(1992年)寄居

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
町民に会の存在が知られるとともに、役員の参加意識が向上しました。

2 主にどんな活動をされていますか
町内3か所のトンボ公園を管理しています。
日祝日にトンボ自然館を開館しています。
(新井 裕)
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第4回(1993年)・第16回(2005年)磐田市 桶ケ谷沼

1 大会を開催したことによって、何か変わりましたか。
・トンボとサッカーのまち磐田は、ジュビロ磐田の活躍もあり全国に知られるようになりました。トンボのための研究拠点として「磐田市桶ケ谷沼ビジターセンター」を建てることができました。
・竜洋、福田、豊田、豊岡と合併して約17万人の大きな磐田市が誕生しました。新しい磐田市のシンボルとして、花はツツジ、木はクスノキ、鳥・昆虫はべッコウトンボとなりました。トンボの里磐田の名は、不動のものとなりました。

2 主にどんな活動をされていますか。
・春 ベッコウトンボ個体数調査
・夏 ザリガニ釣り大会、竜頭山アカトンボ調査会
・秋 アカトンボ観察会、アカトンボ竹竿100本個体数調査
・冬 冬の野鳥観察会
・その他 会報年3回発行、トンボグッズ販売、ナショナルトラスト運動

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか。
・会員の減少に伴い会の運営が厳しくなる。⇒事務局費の削減で対応した。
・会報の印刷費の予算が組めない。⇒印刷屋に依頼しないで手刷りで発行することとした。
・ベッコウトンボの生育がおもわしくない。⇒渇水、水草の減少、ザリガニの繁殖など沼の遷移でベッコウトンボは飼育箱から沼に戻れないことが、続いています。

4 会として最近楽しかったことはありますか。
・全国トンボサミット城崎温泉に7名の参加者が得られたことです。
・竜頭山アカトンボ調査の折、今村さんのマーキングしたアサギマダラが愛知県で捕獲されたことです。
・「鼈甲蜻蛉」という焼酎が発売され、一本に付き10円が考える会に入ることとなったことです。
・「桶ケ谷okegaya」と命名された小惑星が太陽のまわりをまわっていることです。

5 これからの目標(10年後)は
(1)水質、植生、外来種、べッコウトンボの4点について、桶ケ谷沼の環境を10年前の状況にもどすように整える。岩井里山の会の皆さんによる田んぼづくりに見られるように、ベッコウトンボの住みよい環境を作り出していくことができないか試行錯誤しているところです。
(2)いま飼育箱から発生しているべッコクトンボを沼にかえすよう努力することと、ナショナルトラスト運動を充実させて皆さんに呼び掛け、桶ケ谷沼の近くに理想的なトンボ他のづくりをして、まず飼育箱から出してあげて、沼との交流を目指すことを考えています。
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第6回(1995年)名古屋

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
今回、横浜大会事務局より、1995年に名古屋大会を主催した実行委員会に連絡したが「不明」とのことで、第1回から大半参加している私が書くことになりました事ご容赦ください。
トンボと一緒に住める街づくり・・・と題して残暑厳しい9月10日、国際会議場にて、川津祐介氏の基調講演後、3分科会を開いた。①トンボから子供達へのメッセージ、②生物と一緒に住める街づくり、③パートナーシップ~市民と行政の新しい関係。このうち①は横浜市の先進事例を踏襲し、名古屋市内の各小学校にもビオトープをつくり、プールでヤゴを救出する事業を推進した。②は残念ながら、その後15年間市内・県内の里山・農地・ため池・河川・湿地等トンボが生息する自然環境が、道路建設・土地区画整理事業・埋め立て・改修などの開発行為で消失し、これは逆方向に向かった。③は実行委員会に自然派の行政職員もいて、その後新しい関係を各地域で築き成果を上げた。

2 主にどんな活動をされていますか
実行委員会は解散し、連絡を取り合うこともない。ただ大会に関わった各自が、各々自然環境や保護のNPO等を創設し活動している。1995年まで愛知県初の行政と住民協働型の生態園である『岩倉市自然生態園』創設に私も奔走したが、鎮守の森と農地に囲まれたトンボ池には35種類のトンボが観察されるなど、②分科会発表者の岩倉ナチュラリストクラブは、その後もすばらしい仲間たちが『生物と一緒に住めるまちづくり』に貢献している。
名古屋水辺研究会では、毎月定例の観察会でトンンボの観察を必ず含めて実施している。毎年7月第4土曜日には『トンボと遊ぼうin木幡緑地』を行政と共同で開催し、8月には外来生物の駆除防除を目的に、アメリカザリガニ釣り大会を実施。観察会等、毎回約50~100名の参加がある。小学校、保健所、NPO、子供会、県市行政主催の水辺教室に講師等として協力し、ヤゴを含め水辺生態系の保全や改善への理解を深めるようがんばってます!

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか
トンボが生息する里山・農地・ため池・河川・湿地などは、いまだに開発の対象となり、健全な水環境や水循環を改変される事でトンボとつながる生物多様性が貧しくなっている。緑地公園といえども自然の質が低下している。小学校の総合的な学習の時間が縮小され、身近な水辺での体験学習が減少している。農地のほ場整備・農薬・品種などによりトンボを含む水田の環境が半世紀前とは変わりアカトンボの種と量が激変している。‥‥これらに対して、開発には抑制の提言を、総合学習は全面支援を、さらに名古屋市水辺研究会では3年前から「田んぼの学校を始め、「田んぼの学校」を始め、トンボやメダカやタニシが生息する水辺とトンボ池での活動を継続中。

4 会として最近楽しかったことはありますか
その田んぼやトンボ池から羽化し、産卵し命の営みが続いていく自然環境が目の前にあること。多様な生物と命を分け合う田んぼだということ。収穫量は一般の農家の6割でも、食べるとドジョウやイチョウキゴケのことを思い浮かべられること。田んぼからツバメが巣材の泥や藁をくわえて行き、カワセミが飛び、夏にカトリヤンマやヤプヤンマなどの黄昏活動でラッポヤーンを楽しめる事。ヒキガエルやヌマガエルが産卵し、マムシ・ヤマカガシ・ヒバカリなどの蛇が出没する事。カヤネズミが密かに暮らし、初夏にカキツバタが、晩夏にアカバナが咲き、早春にツクシやセリを摘む事。書ききれない。

5 これからの目標(10年後)は
機械が入らず、人力のみで無農薬の水田ゆえに自然豊かな環境が残されている。水源のため池は名古屋市が池保全要項の公営のため池として買い上げた記念すべき第1号だ。市内では貴重な谷戸だが、さて10年後もこの環境と後継者を残せるかが課題だ。トンボ池を含む農地一帯では45種類のトンボを観察している。それは名古屋市内では最も自然豊かな200haの小幡丘陵地帯が背後にあり、市内河川中4河川の水源洒養林でもある。周辺の開発が進む中で、10年後それが残せるかが問題。
来年2010年に名古屋市内では生物多様性締約国会議COPlOを開催するが、全国トンボ市民サミットが開催できるといいですね。それを契機に15年前の名古屋大会が掲げた「トンボと一緒に住める街づくり」が、本当のものとして根付く事を心から願っています。
(名古屋水辺研究会 國村恵子)
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第7回(1996年)佐賀

1 大会を開催したことによって、何か変わりましたか
1996年の開催なので、13年後の現在では開催の効果についてあまりインパクトのあることを言えないところですが、もっとも重要な点は、佐賀市での大会は佐賀市の事業として請け負ったもので、これに佐賀トンボ研究会が協力する形で開催するというスタイルであったことです。このことから、以下の効果があったと思います。
①当時、広く市民に周知されることとなった。
②大会を開催したことで、佐賀市は「ふるさと創生一億円事業」で始めたこの事業を将来にわたり積極的に継続していく方針を固めることができたように思えます。
③上記①②と関連しますが、佐賀市が主催し本研究会の協力のもとで開催されているトンボ教室に、毎回定員を超える参加希望があることからも、地元の自然環境に対する市民の関心も高まっていると思われます。

2 主にどんな活動をされていますか。
佐賀市より委託を受けて、トンボ教室の企画及び講師の他、トンボ写真コンクールの審査、その入賞作晶を活用したカレンダー作成など、佐賀市とともに「トンボ王国・さが」づくりを行っている。

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか。
特になし

4 会として最近楽しかったことはありますか。
トンボ教室に常連の参加者が増えてきたこと。
若い世代に、将来の後継者になってくれそうなトンボ好き(昆虫少年)が育ってきたこと。

5 これからの目標(10年後)は
市民への啓蒙普及の継続。後継者(昆虫少年)の育成。
(佐賀トンボ研究会)
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第8回(1997年) 新潟 紫雲寺

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
河川管理者などをはじめ、多くの行政機関が自然保護団体に対する態度を変化させ、工事実施等の場合に意見を求めるようになった。

2 主にどんな活動をされていますか
阿賀野川河口にある、「松浜の池」の保全活動
赤とんぼの調査

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか
若い仲間が会に入ってこない

4 会として最近楽しかったことはありますか
特にありません

5 これからの目標(10年後)は
会の日常活動の強化
(石月 升)
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第9回 (1998年)神戸

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
「何が変わった」とは言えないが、トンボが全国的に激減している今日、今後とも広く全国で大会を重ねていくことがますます必要だろうと思っている。

2 主にどんな活動をされていますか
・神戸大会では、副会長として全体のまとめの外に、エクスカーション・第二分科会(市民の環境保全活動)のお世話をした。
・個人として入会している会では、トンボの復元が主で、兵庫県としては、べッコウトンボ保全のため、毎年発生数調査をやっている。

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか
・トンボ市民サミットの大会開催について、特に解決しなければならなかった問題はなかった。
・ただ。全国トンボ市民サミットのテーマとしてとりあげている全国赤とんぼ調査結果をどう推進するかについて真剣に考えなくてはなるまい。

4 会として最近楽しかったことはありますか
・会とは何の会かわからないが、全国トンボ市民サミット神戸大会とするならば、行政ほか多くの団体の方々との交流が深まり、情報の質量が大きくなった。

5 これからの目標(10年後)は
トンボが激減しているなか、全国各地でトンボサミットを開催し続けてトンボを復元し、子や孫がトンボ探しできる邦であって欲しい。
(とんぼと自然を考える会 岡 泉州)
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第10回(1999年)中村

1大会を開催したことによって何か変わりましたか
2002年の、淡水・汽水魚飼育展示施設建設につなげることができた。ただ、多額の経費目当てで、その場限りのつきあいに終わってしまった人も少なくない。

2 会で主にどんな活動をされていますか
廃田を活用したトンボの保護区作り。その中にトンボと淡水・汽水魚を主とするフィールドミュージアム(四万十川学遊館あきついお)があって、フィールド調査等で得られた情報を展示という形で社会に還元している。

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか
若者を中心とする人々の自然離れ。それに伴う会員減少と、活動資金不足。これらの解決は、今後の課題。

4 会として最近楽しかったことはありますか
トンボ保護区及びフィールドミュージアムの整備と改装に対し、四万十市からそれなりの予算が付けられたこと。

5 これからの目標(10年後)は
自然に関わる知識と経験が、生活の糧となる社会制度の整備。
(酒井 泰一)
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第11回(2000年)貝塚

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
トンボに関心を持つ人が増えた。貝塚市役所と事務局を受け持った貝塚市立自然遊学館との距離が近くなった。

2 主にどんな活動をされていますか
大会の中心になった「自然生態園をつくる会」は、その後「自然遊学館わくわくクラブ」となってトンボの池を含む自然生態園の維持管理を続け、それ以外に生きもの観察・自然遊学館の行事手伝い・援農など、多方面で活躍している。大会を機にトンボ好きが集まってできた「トンボ遊学隊」は、援農など、多方面で活躍している。大会を機にトンボ好き が集まってできた「トンボ遊学隊」は、自然遊学館わくわくクラブの中に吸収され、細々ながら貝塚のトンボ調査を続けている。

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか
トンボの池を含む自然生態園は、3年かけてつくっている間は大いに盛り上がったが、維持管理のように地味な作業になると、人は集まりにくい。それでもつくり続けてゆく必要があると、僅かに残ったコアーメンバーや自然遊学館職員が中心になって、放り込まれて増えてゆくザリガニを駆除するイベントや、そこで鳴く直翅類の声を聞く会をしたりして、 生きもの好きを探し出し、「自然遊学館わくわくクラブ」を立ち上げた。現在は、自然生態園作業以外にも楽しい計画を企画しながら、自然生態園の維持管理作業を続けている。

4 会として最近楽しかったことはありますか
会員の1人が、面倒な助成金獲得事務に取り組んでくれ、おかげで小規模だが2箇所からいただいた。そのため年度初めに、大阪府の施設を借りて子どもも一緒に合宿し、時間をかけて年間行事を話し合い考え計画した。みんな初心に戻ってやる気になっているようだ。

5 これからの目標(10年後)は
年に1人2人でもいいから、自然遊学館わくわくクラブに新しいメンバーが加わり、自然生態園をいつまでもつくり続けてゆくこと。
(白木 江都子)
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第12回(2001年)市川

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
①大会実施1年前より市川市を巻き込んで実行委員会を立ち上げた関係で、市の環境部と風通しが良くなり、市川自然環境実態調査が行われることに寄与した。
②実行委員会は市役所だけでなく、広く市川市内の環境、生物、文化活動に関わる団体に声をかけた。その結果市民の間に連帯の輪が広まった。
③上記団体の中から「市民が集えば大きなことを実施することも可能」とわかり、翌年からその方々の働きかけで「市民ミュージカル」が年一回行われるようになった。

2 主にどんな活動をされていますか
①上記団体の中から「市民が集えば大きなことを実施することも可能」とわかり、翌年からその方々の働きかけで「市民ミュージカル」が年一回行われるようになった。
②通年の活動は年6回の勉強会(あるいは観察会)の実施、年6回の会報「みどりのふお-らむ」の発行
③コアメンバー約10名により運営委員会を構成し、その決定に基づき、市川市の海「三番瀬」の保全活動、市内緑地の保全活動、総合治水の考え方の市民への浸透、江戸川の流域も含めた自然環境の保全活動などに取り組む。
④③で記した活動は、当フォーラム単独で実施しているわけではなく、三番瀬については「三番瀬を守る署名ネットワーク」、緑地保全は「緑のみずがき隊」「真間山の緑地を守る会」「真間川の桜並木を守る市民の会」「千葉大学木下剛研究室」、江戸川については「利根川流域市民委員会」「利根川江戸川流域ネットワーク」などとネットワークを組んで実施している。

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか
① 特に問題であると感じているのは三番瀬の保全の問題である。市川市はすでに埋め立てられ傷ついている海をさらに人工干潟化して市民の利用を前面に出しているが、私たちはこれ以上海域に手をつけるのはやめ、海産生物、鳥類のために人間が豊かな自然環境を回復させるべき、そのために埋立地の遊休地を海域環境に復元することを提案している(すでにアメリカ、イギリス、イタリアなどでそういった事業が予算をかけて実施されている)。

4 会として最近楽しかったことはありますか
①トンボサミット市川大会のときに紹介した「北方遊水池」における自然環境の復元について、2007年6月末にこの場所が「大相川第一調節池緑地」としてオープンしました。大相川の氾濫を防ぐ調節池として機能させながら、平常時は多くの生物の生息の場、ヒートアイランドを防ぐ場、市民の憩いの場として、ほぼ前面を自然系の整備をしていただきました。オオタカもここを餌場にするなど、多くの野生生物の生息場のなっており、市民にも評判になっています。
②上にも書きましたが、緑地保全について市に提案する際に最初の段階から千葉大学園芸学部の木下剛研究室が協力してくれていることです。千葉大学園芸学部は都市計画や緑地保全にいろいろなノウハウを持っているので市民としてとても頼もしく思っています。

5 これからの目棲(10年後)は
①市川市のまちづくりの中に、「地球温暖化防止」「生物多様性保全」を浸透させていくこと、そのことによって市川の自然環境がいつまでも豊かで健全であること、さらに歴史的にも文化的にも多くの財産をまちづくりの中にきちんと位置づけて、文化の薫り高い市川市を目指します。
(佐野林美)
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第13回(2002年)福井県 敦賀

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
大会エクスカーション会場となった中池見湿地は、トンボの確認種が70と自然棲息として日本屈指の場所です。しかし、ここに開発計画が浮上。1990年に敦賀市が総合計画で工業団地候補地に。その後、1992年には大阪ガスが液化天然ガス(LNG)備蓄基地建設計画を発表しました。
私たちは、中池見湿地は地形的にも、生物の多様性の面からも比類のない所との認識から
1991年から保存運動を展開してきました。同時に調査・啓発活動も継続実施、その成果物として総合学術調査報告書も刊行しました。その間、建設へ向けての環境影響評価調査が終了し、着工直前までいきましたが、大阪ガスは1999年に工事着工を10年延期すると発表、大会直前の2002年4月9日には計画中止の決断が示されました。
これを受けての大会開催は、行政の地元経済活性化としての中池見開発から、自然資産の活用へと視点を転換させる契機となったと思います。開会式の歓迎のあいさつで敦賀市長は中池見を敦賀の宝としていい形で保存・活用したいと表明しました。

2 主にどんな活動をされていますか
大会は実行委員会方式で12団体で構成。中心的に「中池見湿地トラスト」と「ナチュラリスト敦賀緑と水の会」が動きましたが、開発計画がなくなり、トラスト運動は停止。
その後(2003年)、関係5団体で「NPO法人ウエットランド中池見」を設立。現在ここを中核にして関連団体は中池見で連携して活動中。
・中池見保全のための各種作業(農道等の草刈り、江掘り=小川の泥上げや土手の修復など)
・利活用のための各種企画行事(学校の環境学習・総合学習支援、エコツアーなどの受け入れ等)
・啓発活動(資料・ガイド類の発行、機関紙発行、シンポ等)

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか
・現地での実働会員の確保・育成
・行政の理解度アップ

4 会として最近楽しかったことはありますか
・ホタルの復活(自然生息地の修復・修景事業実施中)

5 これからの目標(10年後)は
・ラムサール条約への登録
(笹木智恵子)
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第14回(2003年)中津

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
「中津のベッコウトンボと自然環境を守る会」は、数年前に解散し、小野と黒川の2人が、現在個人の資格で貴会に加入させていただいております。

2 主にどんな活動をされていますか
2人は、地元自治会の主催する他の環境保全活動(年4回の周囲の草刈り及び年1回の他の中の清掃)に参加しております。

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか
農業用水の池は、現在利用されてなく、他の中が葦、ジャンボタニシの進入により、トンボの生息環境としては最悪の状態になりつつあります。

4 会として最近楽しかったことはありますか
中津市、大分県などに再三対応策を要請しましたが実現しておらず、今後トンボの生息については非常に危機感を持っております。

5 これからの目標(10年後)は
今後については、地元自治会と協力しながら、トンボの活性化に協力していきたいと考えております。
小野維平、黒川安志)
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第15回(2004年)茨城県笠間 ふじみ湖

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
特に変わったというようことはありませんでした。

2 主にどんな活動をされていますか
現在は、特に会で活動していることはありませんが、活動に参加したメンバーで親睦的な懇親会等を開催しています。

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか
オゼイトトンボ、ハッチョウトンボ等が生息する湿地に、茨城県施工による公共産廃処分場の建設計画があり、産廃処分場の建設計画を多くの方に知っていただき、処分場建設が阻止できることを願って開催しました。しかし、公共処分場は計画通り建設されました。

4 会として最近楽しかったことはありますか
大会に参加したメンバーとその後も親睦的な懇親会(飲み会)を頻繁に開催しています。
同じ仲間との飲み会は楽しいです。

5 これからの目模(10年後)は
特に、会としての目標とするような活動は考えていませんが、今後全国で開催される全国トンボ市民サミット大会にはぜひ参加していきたいと思います。
(小松崎 保貞)
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第17回(2006年)鶴岡

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
変わった事はありません。

2 会で主にどんな活動をされていますか
鶴岡大会は、トンボ市民サミット事務局からの依頼で開催し、大会の終了をもって実行委員はそれぞれの 所属団体に戻り活動しております。
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第19回(2008年)豊岡

1 大会を開催したことによって何か変わりましたか
多くのトンボ愛好家の皆さんとの出会いが出来たこと。また、地元城崎町住民の方々にヒヌマイトトンボの生息を知っていただいたこと。
今は、いろんな人たちから幅広くトシボに関する問い合わせが寄せられています。

2 会で主にどんな活動をされていますか
年間活動計画に従い活動を進めています。内容は、生息地である桃島池の環境保持として草刈りやゴミ拾い、木道の点検。生息地のパトロール。ヒヌマイトトンボの羽化調査。
ヒヌマイトトンボの市民観察会の開催。地元小学校の環境教育への協力。宣伝のために「城崎温泉ふるさと祭り」や「但馬まるごと感動市」でのヒヌマイトトンボのコーナの設置。

3 どんな問題を抱えていますか(抱えていましたか)どのように解決しましたか
ヒヌマイトトンボは小さな生き物ですから軽視されないように声かけをしています。生息地の畑の地主さんともめないように配慮をしています。

4 会として最近楽しかったことはありますか
トンボサミット豊岡大会半年前から会員の意識が向上し、会議・準備等にもたくさんの参加があり、このことに喜びを感じました。

5 これからの目標(10年後)は
ヒヌマイトトンボ生息地の桃島池の10年後は、バイパス道路の開通により、今より環境が大きく悪化すると思われます。これに対抗するためにも、百島の郷に昆虫館を建設できるよう頑張りたいと思っています。また、コウノトリの為に整備された「戸島湿地」には汽水域も造られていますので、行政と協力しこの地でのヒヌマイトトンボの増殖を考えています。
(松本逸朗)
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関連団体の紹介(ただいま情報収集中です!)

磐田 NPO 法人桶ケ谷沼を考える会

静岡県磐田市にある、日本一のとんぼの生息地「桶ケ谷沼」に対して1986 年設立しました。名称を市民会議「桶ケ谷沼を考える会」として、磐田青年会議所会員・保護団体(野路会・野鳥の会遠江支部など)・地権者・市民有志の皆さん・市役所職員有志の皆さんまた、地域代表の方々も「守る会」ではなく、日本一のトンボ生息地をどうするか?どう守るかを一緒に考えましょう!と一般市民にも呼び掛けて、市民の心に訴えることを活動目標としてスタートしました。
主な目的は、
①沼の自然、生息するトンボなどの生物の保護及び研究と立案。
②快適な環境や地域づくりまた、教育の場として桶ケ谷沼を生かす施策づくり。
③桶ケ谷沼の持つ意味を積極的にPR するとともに観察会等の開催から沼を知ってもらう。
30 年が過ぎた今も周辺の協力・支援をいただき「桶ケ谷沼」の自然と、そこから自然教育の場として、命の大切さや環境問題を正しく学んでもらえるよう企画推進しています。「桶ケ谷沼」から持続可能な本物の自然と環境問題を考えてもらうことと、自然と共生する美しい地域・まちづくりへの推進役を果たしたいと思います。
「NPO法人桶ケ谷沼を考える会」のホームページはこちら↓

横浜 横浜にとんぼを育てる会

1989年から本牧市民公園内のトンボ池で活動を続ける、トンボを通した市民活動の草分け的団体です。トンボ池の管理作業やヤゴ救出作戦などを行うほか、春の田植えや秋のトンボ観察会は学校の先生方の協力も得て、トンボを通した環境イベントとして開催しています。
フォーラムのトンボ調査にも当初から協力し、市内のトンボ池ネットワーク構想の目安にしようと考えていましたが、フォーラムを通したさまざまな人との交流も大きな楽しみとなっています。
「横浜にとんぼを育てる会」のホームページはこちら↓

横浜 トンボはドコまで飛ぶかフォーラム

京浜臨海部の緑地の質向上と生物多様性に貢献することを目的に、企業、市民、行政、専門家がそれぞれの立場で参加するゆるやかなネットワークです。企業は、企業緑地を市民に開放したり活動場所として提供して緑地の質の向上をめざし、市民は、活動推進のマンパワーとなり企業緑地を提供する企業の応援団となります。専門家は、調査結果の解析によって企業緑地の科学的評価を行い、行政は、フォーラムの活動を施策に位置づけたり反映させることで活動を社会的に認められるようにします。
具体的な行動は参加者の自主性に任せていますが、すべての参加企業で生物の生息環境に配慮した緑地整備が行われました。2017年4月時点の参加団体は、企業8社、市民団体12団体、教育・研究関係者6団体、行政等6組織。
詳細はこちら↓

貝塚  自然遊学館わくわくクラブ

貝塚市立自然遊学館と協働で、自然環境活動を展開するボランティア団体。2000年、延べ2,000人の手で完成した自然生態園(貝塚市二色「市民の森」内)と、青いアカトンボ・ナニワトンボを売りにして、第12回トンボ市民サミットを開催しました。それ以後も、自然遊学館わくわくクラブが中心になって、トンボの池の生きもの調査を続けながら、池・原っぱ・森・海辺の4ブロックを、限りなく貝塚の自然に近づける維持管理を続けています。一時はアメリカザリガニに乗っ取られたトンボの池ですが、2013年夏から188日間、池を干したことにより、ここ数年は0匹状態が続いています。2010年からは、岸和田市河合町「カエルの郷」で、周年湛水を目ざした里山再生活動も始めています。

駒ヶ根 駒ヶ根ハッチョウトンボを育む会

ハッチョウトンボが生息する長野県駒ヶ根市南割公園は、中央自動車道を造る
際の盛り土を取得するため、山麓部の斜面を削ってできた場所です。
ハッチョウトンボは、山麓部から湧き出した水によって出来た湿地帯に近くの生息地から飛来し、棲みつきました。この場所で最初にハッチョウトンボが確認されたのは1988年。
その後、ハッチョウトンボに想いを寄せる人たちによって静かに見守られてきました。
そんな折、この公園内に球場建設の計画が持ち上がりました。そこでこれを機会に、駒ヶ根市民にハッチョウトンボを広く公開し、環境保全への意識を高める中で保護していこうということになりました。その後2004年には、市の昆虫に指定されました。
1999年10月に「ハッチョウトンボを育む会」が結成され、毎年、生息地の整備をし、観察会や希少動植物のほごと普及活動を行っています。
ハッチョウトンボの大きさは1円玉と比べてみるとわかりますが、世界で最も小さい部類に属するトンボです。もちろん、日本では最小のトンボです。

ハッチョウトンボが生息する環境は限られています。それは、一年を通して水が浅く張った陽当りの良い場所です。駒ヶ根周辺では、5月上旬から羽化が始まり9月上旬まで観察することが出来ます。
羽化したばかりのハッチョウトンボは、雄も雌も褐色の体に縞模様がうっすらとあります。
でも……雄はだんだん鮮やかなアカネ色に変化していきます。
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寄居 寄居町にトンボ公園を作る会

リゾート整備の一環としてのゴルフ場造成計画が発端となって、ゴルフ場に代わりトンボ公園づくりを提案するため、1989年に市民団体「寄居町にトンボ公園を作る会」が発足しました。以来当会のボランティア活動により町内の5か所にトンボ公園を整備するとともに、ミニトンボ博物館として「寄居トンボ自然館」を運営してきました。

寄居 NPO法人むさしの里山研究会

1999年に発足し、耕作放棄農地の活用と自然体験活動などを中心に、2団体が協力して活動してきました。むさしの里山研究会は今年度中に「NPO法人ノア」と合併し、福祉と里山保全を合体した新たな活動展開を行うことになりました。
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たつの

和歌山

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